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実はバツ2だった…2018大河・西郷どん。3人の妻、須賀(すが)、愛加那(あいかな)、そして糸(いと)の役割を考える

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鹿児島県が2018年大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)登場人物の主要キャラを発表した。西郷隆盛はバツ2であり、生涯で3人の伴侶を迎えた。それぞれが意義深い役割を担い、みな西郷どんに尽くしたことは共通するが、西郷どんの置かれた状況は違っていた。妻の役割について考え、2018・大河「西郷どん」を楽しもう!

 鹿児島県が西郷どんキャラクター発表

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鹿児島県が、2018(平成30年)大河ドラマ・西郷どんの機運醸成を目指し、キャラクターを発表した。西郷隆盛、大久保利通、島津斉彬…そして西郷どんの妻となる愛加那とイト。西郷どんは時代の荒波の中で2回の離縁を経験した。恋、結婚、別れ…大河ドラマ「西郷どん」において、どのように描写されるのか興味深い。今回は、そんな西郷どんの妻となる須賀、愛加那、イト、3人の運命を探ってみたいと思う。

"西郷どんの一目ぼれ" 1人目の妻「須賀」(すが)

↓鹿児島県が発表した西郷どん

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最初の結婚は西郷どん24歳(一説には28歳)のとき。島津家分家である格上の薩摩藩士・伊集院兼善の娘・須賀(すが)に一目ぼれする。須賀は相当な美貌だったそうだ。西郷どんからの積極的なアピールにより結婚までこぎつけた。幸せな結婚生活が始まるかと思われたが、結婚直後から祖父、両親の死という悲しい出来事が相次ぐ。さらに、ときの薩摩藩主・島津斉彬に抜擢され、江戸にて勤務し、別々に居住することになる。

 

江戸でバリバリに働く西郷どんは出向の身だ。須賀を江戸に呼ぶこともできない。須賀にはまだ子がいなかったが、西郷家5人の小さいきょうだいの面倒をみることになる。下級武士であり貧しい生活を送る須賀にとっては、西郷どんにも長く逢うことができず、つらい日々を送っていたことだろう。しばらくして須賀は実家に戻ることになる。

 

実家・伊集院家から西郷家に離縁の相談がなされ、最初の結婚はわずか2年で終わりを迎えることとなった。「申し訳なかった…」西郷どんは大変悲しみ、涙を流したそうだ。仕事に徹する西郷どんは、まさしく身を粉にして働く薩摩の武士だ。そして妻は家族を守る。しかし、江戸と薩摩、離れて生活することは何よりつらいことだったろう。大河・西郷どんではどのように描写されるのだろうか。

 

"望まぬ別れ"2人目の妻「愛加那」(あいかな)

↓鹿児島県が発表した愛加那

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 2回目の結婚は西郷どん31歳のとき。このとき西郷どんは苦悩の日々を送っていた。恩師・島津斉彬の急死により薩摩藩、そして江戸幕府は大きく施策の方針転換を行うことになる。西郷どんもその身を危険にさらされることとなる。

 

こうしたことから西郷どんは薩摩の植民地にような立場にあった奄美大島に潜伏することとなる。この奄美大島での生活を通じ農民の信望を集めることとなった西郷どんは、家の使用人となる農家の娘・愛加那(あいかな)と結婚することになる。2年後には長男・菊次郎をもうけた。

 

窮地に追い込まれ、つらい生活を送っていた西郷どんにとって、愛加那の存在は大きかった。心身ともに立ち直り、新居を構えることとなる。だが、薩摩藩の状況もまた大きく変化していた。西郷どんの知見を必要とし、薩摩に呼び戻すこととなる。このとき、新居を構えた翌日だったと言われている。そして、愛加那は2人目の子を身ごもっていた…

 

西郷どんはつらい選択をすることになる。当時の薩摩藩がとっていた藩法・島妻制度により、愛加那を薩摩に連れていくことは出来なかったのだ。愛加那は薩摩に行きたかった。身支度も整えていた。しかし…薩摩に行くことは叶わなかった。藩に背くことはできない。愛加那は、西郷どんの毛髪を別れの記念として受け取り、生涯大切にした。西郷どんは、妻・愛加那、息子・菊次郎、そしてお腹の子を見ることなく奄美の地を離れた。愛加那は生涯奄美の島を出ることはなかった。後にわが子とも離れなければならなくなる愛加那の心境は、何とも言葉には表せないものだっただろう…

 

"生涯の伴侶"3人目の妻・イト(糸子)

↓鹿児島県が発表したイト

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西郷どんの3回目、そして最後の結婚は37歳の時。薩摩藩士、岩山の娘・イト(糸子)21歳と結婚することとなる。イトも再婚であったが、西郷どんは全く気にしなかった。イトの面倒見は大変よかったそうだ。西郷どんが奄美に残した2人の子を引き取り、自身と西郷どんの間にもうけた3人の子、さらには西郷どんの弟の子2人を合わせ、大家族となった薩摩の西郷家を守った。

 

薩摩の武村(鹿児島市武)に屋敷を設け、薩摩藩の要職に就いていた西郷どんのもとには、西郷どんに学びたいという多くの有志視察を迎えていた。イトは、こうした者の世話や育児に忙しい日々を送りつつ、充実した生活を送っていたことだろう。

 

しかし、そんなイトも西郷どんに先立たれることとなる、1877年、運命の西南戦争が始まる。西郷が尽力した維新政府軍に屋敷を焼き払われ、西郷どんは家族を残し、死去することとなる。

 

イトはそれでも西郷どんの意思を継ぎ、京都市長となる菊次郎、陸軍大佐となる虎太郎など、子を立派に育て上げる。80歳という当時としては大往生を送る。

 

西郷どんに会う旅・鹿児島