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鹿児島。西郷どん(せごどん)。カフェ・ランチ。なんでも書くブログ。

学説を疑え!京都の『薩長同盟』締結場所に行ったら、まさかのアレが無くなってた話【近衛屋敷・小松帯刀邸跡】



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西郷どんゆかりの地を巡る京都の旅。どうしても行きたかった『薩長同盟締結地』歩いて歩いて、たどり着いたその先には、まさかのアレが無くなっていた・・・学説を疑え!って話。

 『薩長同盟』締結跡地へ行ってきた

2018年(平成30年)大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)においても、最重要なエピソードの一つになるであろう薩長同盟』。ご存知の方が多いだろうが、簡単に復習してみたいと思う。

 

犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩

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1.八月十八日の政変(薩摩藩が仕掛け、長州藩有力勢力を京から追放)
2.禁門の変(長州藩、名誉回復を願うも薩摩藩の援軍で敗北)
3.追い打ちをかける第一次長州征伐

 

ありとあらゆる事象が次々に発生し、薩長関係は大きくこじれ、関係は最悪となっているときだった。

 

坂本龍馬・中岡慎太郎の説得

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坂本龍馬、そして中岡慎太郎の両者は、あだ敵となっている両藩を含めた藩の結集が倒幕のためにはどうしても必要だと考えていた。両者が中心となり、「薩長和解」に向け奮闘するのは有名な話である。

 

薩長同盟会談の始まりは京都・二本松の薩摩藩邸(現・同志社大学)

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薩摩藩邸跡

 

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現・同志社大学

 

奮闘の甲斐あり、なんとか薩摩藩の代表・西郷隆盛と、長州藩・木戸孝允の直接会談が行われる場所となったのが、京都・二本松の薩摩藩邸(現・同志社大学)だ。しかし、薩摩・長州共に誇り高きものを背負っており、そもそも因縁の仲。連日酒の宴を催すものの、『薩長同盟』の話題を切り出すことができなかった。

 

10日間以上も経過し、しびれをきらした坂本龍馬が打開する。場所を変え、薩摩藩・西郷隆盛がその言葉を切り出すことになる。その場所というのが、「摂家近衛家(小松帯刀寓居跡)」なのだ。(京都・堀川通一条東入ル)

 

そしてついに、慶応2年(1866年)1月8日、西郷隆盛、木戸孝允は、小松帯刀邸で6か条からなる薩長同盟を締結することとなる。

 

摂家のひとつ、近衛家別邸。薩摩藩の幻の宰相「小松帯刀」が身を寄せていた場所である。この小松帯刀邸で締結されたとは、以下の「薩長同盟締結地」google検索1位に輝くウェブサイト様で学んだ。素晴らしいサイトだ。

薩長同盟締結地跡 − 幕末トラベラーズ/地図と写真で見る幕末の史跡

 

並びに僕がおススメする西郷どんのガイドブック「西郷どんのひみつ」を参考に、その地を訪問することにした。

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西郷隆盛のエピソード満載!『西郷どんのひみつ』を読んで大河ドラマ「西郷どん」を10倍楽しもう - 頭の中のゼムクリップ

 

 

薩長同盟締結地は「堀川通一条東入ル」

薩長同盟締結地跡(小松帯刀寓居跡)」は、NPO法人京都歴史地理同好会が2008年に京都の「堀川通一条東入ル」の近衛屋敷跡をその地と判断し、標石を建てたとのこと。鹿児島では、薩摩藩「小松帯刀」の人気は高い。京都を訪れた際に、その地を直接自分で尋ね、幕末の足跡を味わうことにした。

 

二本松の薩摩藩邸(現・同志社大学)から500メートルほど西へ。

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 「堀川通一条東」 そこは閑静な住宅街だった。

 

 

ついた。ここだ、ガイドブックに書いてある『薩長同盟締結地』は。

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あれ(。´・ω・)?

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ん~(。-`ω-)ここだと思うんだけど・・・ここじゃない?キョロキョロと周りを見渡すこと5分。

 

えっ???(◎_◎;)まさか・・・

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ない!(; ・`д・´)

 

なぜだ!あるものがない!なぜだ!でも確かにここだ!ガイドブックもグーグル先生も ここだと言っている!

 

( ノД`)シクシク…

 

さすがにこのまま帰るわけにも行かず、ちょうど向かいのお宅でお喋りをしていたお母さま方(60~70代)に聞いてみることにした。

 

クリップのゼム「すみませ~~ん」

お母さま方「どうしたの」

ゼム「僕、鹿児島から来たんですけど、ここって、『薩長同盟』締結場所じゃなかったでしょうか?

お母さま方「あら、そうなのよ~~。ここは有名なお屋敷跡だったのよ~。でもね、去年くらいに学説が覆っちゃったみたいで、今年の3月に本物の場所に持って行かれたわよ~。

ゼム「ええっ!?本当ですか!?」

お母さま方「そうよ~。本当の場所は『御花畑お屋敷跡』にあるわよ!」

 

なんと、2016年に鹿児島県歴史資料センター黎明館等の資料により、ここは誤りであったことが判明したのだと!本当の場所は「御花畑御屋敷跡」!これは行ってみるしかない!お母さま方は、丁寧にその場所(バスで10分くらい)を教えてくれた。

 

ゼム「ε-(´∀`*)ホッ ありがとうございました!さっそく行ってみます。感謝です!」

お母さま方「お兄さん、歴史を辿るなんて、偉いわね~~。やっぱり、土佐藩の血が騒ぐっていうのかしら?オホホホホ」

 

お母さん、ありがとう。でも、おいどんは、薩摩藩の人間でごわす。坂本龍馬の土佐藩の人間じゃなかき!ww

 

いかがでしたか?

最後までお付き合いいただきありがとうございました。クリップのゼム、京都へ。2018年(平成30年)大河ドラマ「西郷どん」、そして薩摩藩ゆかりの地を巡る旅シリーズはまだまだ続きます。よければ読者登録お願いします。

 

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