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〔西郷どん〕東京・上野の西郷銅像と犬のツンは作者が別!なぜ?が分かる9つのTips



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東京・上野の西郷どん銅像を見るときのポイントを9つほどご紹介。西郷隆盛と犬のツンは作者が別!などの小ネタ集です。

都立上野恩賜公園西郷隆盛像(東京都台東区)

国民におなじみの東京・上野の西郷どん

国民におなじみの東京・上野の西郷どん

鹿児島県民だけでなく、全国であまりにも有名な上野公園の西郷さん。僕は鹿児島市民ですので鹿児島・城山の西郷さんばかり見てきましたが、全国の鹿児島県民以外の方々にとっては、西郷どんと言えば上野の西郷隆盛銅像を思い浮かべるのが普通でしょう。

 

東京に行く際は必ず見に行くこの西郷さん銅像。今回「東京・大河ドラマ西郷どん巡り」では、せっかくなので「小ネタ」を調べて見てみることにしました。

 

皆様も小ネタを知ってこの銅像を見てみると「へ~~」とまた違った視点でご覧いただけるかもしれませんので、ご報告いたします。

 

1.西郷隆盛銅像と愛犬・ツンの銅像は作者が別

 西郷隆盛銅像は東京美術学校名誉教授・高村光雲(上野公園のある台東区出身)の作。一方、傍らにいる愛犬・ツンは兵馬術に長け、皇居外苑の楠木正成を高村光雲と共同制作した後藤貞行

 

高村光雲は、この上野の西郷銅像は苦心の末の作品だったよう。そのエピソードを知ると、上野の西郷銅像の見方が変わってきます。

 

「これは散歩ではなくて、山に兎狩りにでかける際の服装。その証拠に腰には仕掛け縄がぶら下がっているし、いばらを切るための小刀が差してある。」

 

「西郷は写真を残さなかった。色々調べても本当の姿は分からなかったので、身の丈を6尺(180㎝)とし、銅像は2倍の一丈二尺(360㎝)で作ることにした。」

 

「殿様からいただいた着物は、西郷というお人は縫い直さずそのまま着る人。だから銅像の西郷さんはスネが丸出しでつんつるてん腕も手首があらわになっている。」

 

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ほんとだ・・・"(-""-)"

 

2.日本で初めて銅像除幕式が行われた西郷銅像

大河ドラマ・西郷どんの西郷銅像除幕式

大河ドラマ・西郷どんの西郷銅像除幕式

そういえば、大河ドラマ・西郷どんはこのシーンから始まりますよね。「西郷隆盛銅像除幕式」。

 

銅像の除幕式は、この上野の西郷銅像が日本で初めてだったそう。だからこそ、大河でもこのように取り上げられたのでしょうか。時代を振り返ると、ドラマ一つにしても本当に奥深いですね。

 

そういえば、「上野公園」は、日本で初めての公園として指定された場所でもありますよね!「日本初」って、なんともいい響き( *´艸`)

 

3.出世祈願に西郷銅像詣り

明治に建立後、昭和に入るまで西郷隆盛銅像に紙の玉を投げ、鼻に当たると出世すると言われ流行となっていたらしい。今からすると信じられず、なんと恐れ多いことやらだが、英雄にあやかりたい気持ちは今も一緒?

 

4.愛犬・ツンはメス犬だけどモデルはオス犬

愛犬・ツンはメス犬だけどモデルはオス犬

愛犬・ツンはメス犬だけどモデルはオス犬

西郷どんが犬を最大13匹程度飼い、狩猟などに同行させていた。その中でもメスの薩摩犬・ツンが最も有名であろうが、上野の西郷隆盛銅像の傍らに寄り添う愛犬ツンのモデルはオス犬

 

そして本当の薩摩犬はこれよりずっと小さいが、高村光雲が西郷銅像とバランスをとるために大きく作成するよう指示したらしい。

 

5.頭がえらく大きくみえるのは遠近法のため

西郷銅像を印刷体でみるとえらく頭部が大きく見える

西郷銅像は下方から見上げて望むことを想定して作製されている

身長370㎝あまりある西郷隆盛銅像。印刷物などでアップで見た際は「頭でかくね・・・」と僕は思っていました。しかし実際に生でみると、威風堂々であり、一方で親しみやすくもある。

 

こうしたように見える理由は、作者・高村光雲の作品としての技術によるものらしい。遠近法により、像の足元から見上げて鑑賞することを想定しているらしい。

 

確かにそうですね・・・( *´艸`)

6.「こげなひとじゃなか」浴衣でしか造れなかった西郷隆盛銅像

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ちごっ。うちの旦那さあはこげな人じゃなか。

大河ドラマ・西郷どんのオープニングは原作と同じくこのシーンから始まりましたよね。西郷隆盛(鈴木亮平)の3番目の妻・岩山糸(黒木華)の言葉。

 

ちごっ。うちの旦那さあはこげな人じゃなか。(違う。私の旦那様はこんな人ではない)

 

この発言には「西郷隆盛の顔」が似ていない、とする説もあるようですが、地元・鹿児島では西郷どんは普段着で公の場にでるような礼儀をわきまえないような人間ではない、との思いからだとする説が有力と言われています。

 

今となっては、その真意は分かりませんが・・・

 

当初は、馬上で陸軍大将軍服姿の銅像とする計画もあったよう。しかし馬となると資金不足となり、軍服姿にするよう変更されます。

 

しかし、まだ西南戦争終結後の、西郷の死から21年しか経過しておらず、国民にとっても西郷に対する逆賊だ、という抵抗感が強かったからだそう。また、まだまだ政治的に不安定なときでしたので、政府に対抗する世論を形成させないため、庶民的な姿に変更させられたのです。

 

確かに、全国での西郷どんのイメージは、浴衣姿で何ともおおらかそうなイメージが定着しているのかも。

鹿児島市城山の西郷銅像

鹿児島市城山の西郷銅像

一方で、鹿児島県民にとって有名なのは鹿児島市城山の西郷銅像。こちらは念願かなっての陸軍軍服姿。何とも凛々しくかっこいい西郷どんの姿です。

 

直立不動で明治天皇を護衛する西郷隆盛。最後まで寄り添った妻、岩山糸(黒木華)の「ちごっ」の意図していたは、この西郷のような姿なのでしょうか・・・。

7.「彰義隊」に背を向ける西郷隆盛

上野公園内西郷銅像裏にある彰義隊士の墓

上野公園内西郷銅像裏にある彰義隊士の墓

西郷・勝の会談による江戸城無血開城後、徳川家処分に不満の交戦派として兵を挙げた「彰義隊」。最大で4,000名にも及ぶこの旧政府軍の敵対を討伐するための新政府軍の最激戦区陣頭指揮をとったのが西郷隆盛でした

彰義隊説明文

彰義隊説明文

 

彰義隊との一戦で薩摩兵は最激戦区の黒門口に配置されます。 この黒門口を中心に新政府軍が攻め込んだ場所に西郷銅像は建立されています。当時の戦の地に、敵方の墓と共に建立された意図とはいったいどのような考えからなのでしょうか。

 

上野戦争で攻める方向と逆向きに設置された西郷銅像。ただ、彰義隊墓と向かい合わず、背を向けて設置されていることには何かしらの意味はあってほしいものですが、、

 

8.関東大震災では掲示板変わり

大正時代に起きた関東大震災の際は、行方不明者の張り紙を張られたいたらしい。当時は周辺に高い建物がなく、かなりの遠方からでも目立っていたそう。どこからでも見上げることのできる西郷さん、立派です。

 

それにしても、第二次世界大戦が勃発して渋谷のハチ公像、二宮金次郎像、板垣退助像、例外なく軍事利用されたのに、この上野の西郷銅像はそれを免れた、というのも当時に思いを馳せる理由となりますよね。

 

建立時から東京上野のシンボルであることは、現代になっても不変ですね。

 

9.UENO3153は島津家別邸の仙厳園をイメージ

 

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上野の西郷銅像と隣接した西郷会館跡地に建設された大型飲食店ビル「UENO3153」。「さいごーさん」に文字かけしているのは説明も不要であろうが、屋上テラスは上野公園と同じ高さとし、鹿児島の島津家庭園「仙厳園」をイメージし、わざわざ鹿児島から取り寄せた植物がちりばめられている。

 

UENO3153

UENO3153
いかがだったでしょうか。

建立から120年、東京上野の象徴であり続ける西郷隆盛銅像。また東京を訪れた際はその変わらぬ姿を見てみたいと思います。最後までありがとうございました。

 

都立上野恩賜公園西郷隆盛像(東京都台東区)

所在地:東京都台東区上野公園内

交通アクセス:

(1)JR・東京メトロ上野駅から徒歩で2分

(2)都営地下鉄上野御徒町駅から徒歩で5分

(3)京成電鉄京成上野駅から徒歩で1分