大人のための世界遺産「旧集成館」。日本で初めて「富国強兵」を実践した島津斉彬は、薩摩藩主別邸・仙厳園地区に次々と工場群を建設する。その軌跡をたどることができる鹿児島磯地区・集成館の魅力と見どころを紹介したい。
薩摩藩主第11代藩主・島津斉彬
幕末の名君として名高い薩摩藩主・島津斉彬。2018年(平成30年)大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)においても、渡辺謙がどのような演技をしてくれるのか、西郷どん役の鈴木亮平との師弟関係は想像するだけでワクワクしますね。
さて、そんな島津斉彬がいわゆるお由良騒動の後の1851年、悲願の薩摩藩主となります。1850年代と言うのは、まさに海外からの交渉が次々と起きるときでした。
1851年 | 島津斉彬、薩摩藩主へ |
1852年 | オランダ商館長、アメリカの日本来航計画を幕府に通告 |
1852年 | ペリーが浦賀に来航 |
1854年 | 幕府、日米和親条約に調印 |
1858年 | 日米修好通商条約締結 |
1858年 | 島津斉彬、病没 |
元来、西洋の技術を取り入れた富国強兵が何より必要と感じていた斉彬は、日本で初めてとなる一大プロジェクト「集成館事業」を進行させることとなります。
西洋技術を用いた東洋最大の工場群を「集成館」と名付けたわけですが、斉彬の別邸である仙厳園の庭中や、隣接地に次々と工場を建築させた斉彬の偉業は、その跡を巡ってみるとその壮大さに圧倒されます。鈴木亮平演じる西郷隆盛が島津斉彬に心酔するのも、師弟関係だったこと以外にも、この先見性にもあったのかもしれません。
平成27年7月に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」
明治日本の産業革命遺産は、全国8県11市にわたっていますが、ここ鹿児島県鹿児島市磯地区の一帯が、「旧集成館」として登録されています。さらに「旧集成館」は、以下の3つの構成資産より成り立っています。
- 旧鹿児島紡績所技師館
- 旧集成館機械工場
- 旧集成館反射炉跡
磯地区にある「仙厳園」についても反射炉跡を内地しており、その世界遺産の構成資産の一つとなっています。仙巌園の広さは、なんと約50,000平方メートル。東京ドーム1個分の敷地に、数多くの資産が残っています。
鹿児島市磯地区一帯は薩摩藩主の名勝庭園・仙厳園になにかと目が行きがちですが、世界遺産として評価されたのはまさに斉彬が推し進めた富国強兵策「集成館事業」が中心となっているのです。
鹿児島市に住む者として、鹿児島が誇る世界遺産「旧集成館」について知りたいと思いました。これまで、現地に何回も訪問したり、仙厳園学芸員の方々のお話を聞いたり、鹿児島県の世界文化遺産担当課の方のお話を聞いたりしてきました。そこで初めて知った史実がたくさんありました・・皆さんにもその魅力と見どころをぜひ知ってもらいたい。そんな思いを記事にして紹介したいと思います( ^ω^ )
史跡・鹿児島紡績所跡
今はセブンイレブンとなっている鹿児島紡績所跡。1867年、島津忠義が磯に設立します。英国から最新鋭の精紡機、開綿機などを購入し、日本初の近代紡績工場となりした。同じく世界遺産・富岡製糸場が稼働開始する5年も早く、この鹿児島紡績所は稼働していたのです。
なぜ紡績が重要だったのか?
ペリー来航など、欧米の進出に危機感を募らせる最も大きな理由は海防能力、「船」の差と言えたのかもしれません。そこで薩摩藩は、諸藩に先駆けて蒸気船の建造に挑戦することとなります。
1855年、日本初の蒸気船「雲行丸」が完成します。この雲行丸の能力は、オランダの海軍士官だったカッテンディーケに「蒸気漏れがひどく、馬力も出ていない・・・ただし、簡単な図面を頼りにこれだけ造り上げる人の才能に脱帽する」と言わしめています。同じく1855年、日本初の本格的な洋式帆船である昇平丸が竣工します。
旧鹿児島紡績所技師館(異人館)
この鹿児島紡績所跡近くに、旧鹿児島紡績所技師館があります。ここは紡績のために招いた英国人技師の宿舎だったんですね。当時の趣が残る建物は、有料ではありますが、一見の価値ありですね。イギリスで大流行していたコロニアル様式のベランダなど、決して当時の日本では見ることのなかったモダンな様式が残存しています。
外見だけなら無料ですので、ぜひその当時に思いを馳せながらご覧いただければと思います。( ˘ω˘ )
尚古集成館(旧集成館機械工場)
残念ながら中は撮影禁止なのですが、当時の最先端の機械機器が展示されています。1865年竣工の日本最古の機械工場尚古集成館(旧集成館機械工場)。現在は島津家の歴史と近代化事業を紹介する博物館となっています。ちなみにこのアーチ形石造洋風建築物としても日本初となります。
なぜ製鉄事業が重要だったのか?
もう、列強から薩摩を守る以外に理由はありませんよね。薩摩藩は江戸時代に鎖国制度から除外されていた地域のひとつ。日本の南の玄関口に位置しており、琉球、南蛮貿易の主要な港市の国際交流拠点だったんですね。
裏を返せば、外国勢からの圧力を真っ先に受ける位置にあったともいえます。事実、1824年の英人船員を射殺する宝島事件や、1837年の米籍商船を砲撃しちゃうモリソン号事件など、薩摩は海外からの圧力に最も備えなければいけない藩となっていました。
鉄製150ポンド砲
最大級の海防を行うためには、こうした砲術と製鉄技術の進化を必要としていました。その目標とされたのが鉄製ポンド砲の製造です。
つまり大量の「鉄」を生み出す必要が生じるわけです。しかしながら、今でこそ「鉄」というのは僕たちの日常に欠かせず身近な金属となっていますが、当時の技術では製造が非常に困難であったのです。
そんな中、薩摩藩は、大砲の砲身を作り出す「反射炉」の建設に邁進します。(1851年)
先に述べた外交の手段によりオランダの技術本を手に入れます。そのときの反射炉図が反射炉模型前に掲示されています。
この反射炉図を基に、早急に反射炉を造れ!と言われて、すぐに造ることができるわけがありません。一般人の僕たちが宇宙飛行機を造るようなもの。
それでも、薩摩藩の学者たちは、島津斉彬の激励の元、最先端の反射炉の完成目指し邁進します。
1852年、仙厳園内についに本格的な反射炉「一号炉」が完成します。名前はかっこいいのですが、残念ながら失敗に終わったと言われています。この煙突に使用される耐火レンガが溶解し、炉の土台が傾いてしまって大慌て、記録に残されています。
どうすればいいんだ・・・
薩摩藩の悲願が失敗に終わり、研究者たちは途方にくれます。
研究に研究を重ね、ある結論に辿りつきます。
それが「日本独自の技術の融合」でした。
旧集成館反射炉跡
これが薩摩藩苦心の末完成させた反射炉二号炉になります。僕が仙厳園を訪問したのは雨の日でした。この反射炉の炉底部に雨がたまっています。つまり、全く隙間がない、ということになります。「カミソリの刃一枚も通さぬ精巧さ」と言われ絶賛されたくらい、それだけ緻密な精巧さであることを示してくれている証拠なのです。
そして、建材となる対価レンズの原材料には、薩摩の白薩摩焼に用いられる天草産の土を使用。これにより、1600℃にも耐えうる耐火レンガが完成します。また、反射炉跡にはこの写真のような横穴を用い、日本独自の湿度対策を行ったとされています。
反射炉の建造により、様々な鉄製洋式砲を完成させます。全容はこの尚古集成館の中に垣間見ることができます。仙厳園の入場料で集成館にも入ることができますので、ぜひ、薩摩藩の試行錯誤の歴史を覗いてもらいたいものです。
そして、仙厳園
1658年に第19代当主であった島津光久によって造園された別邸。借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年に国の名勝に指定された。幕末には第28代当主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こした。
ざっくり言うと、薩摩藩主の別荘だった場所、と言うこと・・・そして、島津斉彬はそこ一帯に近代工場群を建設した、ってこと。
なんだかすごくて楽しそう。お殿様のお庭に工場って・・・
流石の島津家の庭の広さ、東京ドーム1個分です。半端ない広さを誇っているのです。
しかし、初めて訪れた方にとっては、それだけ難易度の高い観光地です。公式ホームページでは、30分、60分、100分のコースが紹介されています。
庭園はやまわりコース〔所要時間30分〕
庭園見学+尚古集成館コース〔所要時間60分〕
パワー&ヒーリングコース〔所要時間100分〕
トレッキングコース〔所要時間100分〕
これだけの広大な敷地なだけに、楽しみ方も様々。見どころスポットとして、ホームページには48もの箇所が紹介されています。とてもじゃないけどすべてを楽しむことは出来ません。
僕は、初めての方には仙厳園で30分から45分位で廻ることをお勧めしています。磯地区一帯で1時間程度で十分楽しめます。そこで、体も疲れず心も大満足になる、そんな仙厳園の代表スポットを紹介したいと思います。
1.西郷どんの撮影スポット確率◎ 大河ドラマ撮影スポットを見てみよう
2008年の大河ドラマ「篤姫」においても仙厳園の数々のスポットで撮影が行われました。2018年(平成30年)大河ドラマ「西郷どん」でも撮影が行われることは間違いないでしょう。大河ドラマ好きにはたまらない、そんな撮影スポットを巡ってみてはどうでしょう。
正門
格式高い仙厳園正門。当時は誰もが入ることが許されたわけではないこの場所に、今では誰でも入ることができます。明治期建造とのこと。しかし、趣は当時のまま。ここでは、薩摩藩邸江戸屋敷に見立てられたロケが行われました。
筆塚周辺
当時の薩摩藩主が居住する鶴丸城(鹿児島城)は今は残存しておりません。城下町も幹線道路となっています。ここ筆塚周辺では鹿児島城下風景や篤姫の籠行列などが撮影されました。篤姫を乗せた籠が江戸へ向かうシーンに何度涙したことか・・・左手の古民家は今は雑貨屋さんになってます。
水道橋周辺
城下風景が撮影された水道橋周辺。2018年(平成30年)大河ドラマ「西郷どん」で大久保利通役を演じる瑛太は、このとき小松帯刀役として数々の名シーンがここで撮影されました。
もうだいぶガタついてますけど、、
ここで語り合うシーンが撮影されたんですよ。
瑛太、若すぎワロタ
ここはほんとにガタついてましたね( ;∀;)
曲水の庭周辺
こんな雰囲気の石段、近年の実世界ではほとんど見なくなりましたね。貴重な資産として残っており、やはり瑛太演じる小松帯刀の鹿児島城下のシーンとして活用されました。
2.仙厳園の数ある名所中の名所を抑えよう
錫門
先ほどの篤姫の撮影スポットであった正門は、明治期に造られたんですが、江戸時代にはこの朱色の錫門。サイズとしてのインパクトはさほどありませんが、くぐることに不思議な感覚になります。屋根は瓦ではなく、鹿児島特産の錫でつくられています。鹿児島の世界遺産の構成資産の一つ、仙厳園は、江戸時代から藩主が国内外の御客をおもてなしするスポットでもありました。
ヤクタネゴヨウ
御殿の前庭にある大きな松の木はヤクタネゴヨウ(屋久種子五葉)といって、屋久島と種子島にだけ自生するめずらしい品種。屋久島に1,000~1,500本、種子島では100本程度しか残っていないといわれ、環境省のレッドデータブックでも絶滅危惧種にあげられています。この写真はヤクタネゴヨウではないかも・・・撮りそびれた・・・
示現流・自顕流展示室
子どもたちが、バシバシと木刀を叩きつけていました。薩摩藩には、示現流と薬丸自顕流というふたつの流派があり、展示室で両方の説明と映像を見ることができます。そんな映像を見て外に出たらコレ。薩摩武士になりきって木刀をふりかざしてストレスを発散しましょ~~う。
桜島ビュースポット
曇っていますが・・・薩摩藩主・島津家が別邸に選んだ景色。鹿児島一といわれるのは、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てる「借景」を実現しているから。最高のビュースポット。曇ってるけど( ;∀;)
猫神
全国的にもレアな猫を祀る社「猫神」。まだ今の時計がなかった時代の文禄・慶長の役(1592~1598年)の際、島津義弘公は朝鮮に7匹の猫を連れていき、猫の目の瞳孔の開き具合で時刻を推測したといわれています。この神社には、生還した2匹の猫の霊が祀られてるんだニャ!
3.パワースポットで癒されよう
御殿
薩摩藩最後の藩主・島津忠義が明治時代に居住されていた御殿。それが公開されていることだけで驚きですが、なんと鹿児島城(鶴丸城)と同様の造りをしています。また当主の部屋等に使われている木材はヤクスギが使われているんだそう。こうして垣間見えるお部屋は化粧の間と居間になります。
御庭神社
島津家が鶴丸城(鹿児島城)や仙厳園、その他の別邸にあった13もの神社を1918年(大正7年)、ひとつに集め、祀ることになります。それはもう、相当な後利益があることでしょう。
他にもいろいろありすぎるけど
仙厳園のすべてを一日で見て回ることは困難ですが、薩摩藩主の庭は飽きることがありません。コースを決めて、自分だけのコースを回ってみてくださいね。
仙厳園
公式ホームページはこちらから 名勝 仙巌園 [磯庭園]
《入場券》*仙巌園と尚古集成館 共通
大人・高校生以上 ¥1,000 小中学生 ¥500
団体入場割引あり
《入場時間》午前8時30分~午後5時30分
《開園日》年中無休
《駐車場》
バス 50台まで駐車可/1日1,000円
乗用車 500台まで駐車可/1日300円
《所在地》鹿児島市吉野町9700-1
《車のアクセス》
- 鹿児島中央駅より 車で20分
- 鹿児島空港から(姶良IC~国道10号線経由)車で40分
- 桜島フェリー桟橋から 車で10分
《バスのアクセス》
- カゴシマシティビュー「仙巌園前」で下車
- まち巡りバス「仙巌園前」で下車
- 各社バス「仙巌園前」で下車
いかがでしたか?
最後までお付き合いいただきありがとうございました。2018年(平成30年)大河ドラマ「西郷どん」、そして薩摩藩ゆかりの地を巡る旅シリーズはまだまだ続きます。よければ読者登録お願いします。
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